こう呼ぶ。

当サイトでは、後浦なつみのことを「ごまっち」と呼びます(笑)決定!
ほかの人からパクッたってことは、ナイショの方向で。
どのユニットに対しても言えることですが。楽曲が良ければ認めます。ズラに関しては目を瞑ります。どうせ一回きりなのだから。後々頭に残るのは、ビジュアルよりも楽曲だと思いますからね。



いろいろ巡回してて見つけたんですが、あさみん安倍麻美)の最新のFC会報に「麻美は誰かに決められた通りに振る舞うアイドルではなくて、すごく意思のあるアイドル」「プロジェクトの立ち上げから麻美自身が参加して、自分の意見を持って動いている」といったような記述があったらしい。それが、他の特定のアイドルとの比較でそう言ってるのか、それは定かではありません。でもね、誰かの言われたとおりに振る舞うってことを否定的に捉えられるとね、それは違うと思うんです。アイドルというのは、あくまで「偶像」ですからね。私たちが「こういう女の子がいたらいいなぁ〜」っていうのを表現してくれるのがアイドルですから。スタッフさんは、そういった若い男の子たちのニーズを把握した上で、いわゆるアイドルと言われる女の子たちに、それを要求する。もちろん、女の子それぞれに持ち合わせた個性・特徴がありますから、一人ひとりのそういった特性を深く理解した上で、その子に表現できることは何なのかを見つけ出して、世の若い男の子たちの理想の女の子像を、そのアイドルを通して表現してもらう。それが「アイドル」の基本です。だから、スタッフに言われたとおりに動くようになるのは、ある意味当たり前なんですよ。とくに、モーニング娘。のような大所帯だと、各人がバラバラに、好き勝手に動いてしまったら、収拾がつかなくなってしまいます。コンサートのMCとかはっきり言って萎えてしまうんですが、台本どおりなのは仕方がないんですよ。スタッフが描いた形式どおりに進めていかないと、きちんとした作品が作れるわけがないですから。各自がそれこそ自由にやってると、作品としては一貫性がない無茶苦茶なものになってしまいます。とくにまだ中学生くらいの女の子は、まだ自分というものが理解できていないことがものすごく多いんです。スタッフさんの指導・指示はどうしても必要不可欠になります。それを「やらされている」ように魅せないために、一人ひとりにきちんと教え、理解させなければなりません。
これが、グループで経験を積んだ上でソロになった場合は、少し違ってきます。裕ちゃんとかごっちんとかなっちとは、モーニング娘。を通して、自分の個性だとか芸能界でのポジションを理解していると思いますし、そう認められたからこそ、ソロデビューさせてもらえているのだと思いますが。彼女たちの場合は、自分の意見を持って動くことはできるし、許されてくると思います。最初からソロの子たとえば松浦とか藤本とかは、他の子よりレッスンに長い時間を要していますから、その中でスタッフさんとともにアイドル像を創り上げていくことになると思います。とくに松浦の場合は、スタッフの意図が100%、いや200%理解できていると思わせるほど、徹底的に「偶像」に徹することができています。藤本の場合は自然なままの振る舞いを、そのまま生かすことができるので、あとは歌やダンスなどのテクニックを向上させることに徹すればいいのでしょう。このあたりの方法論は千差万別です。あさみんは、この松浦・藤本の部類に入るのでしょう。だから、会報の記述は決して誤りではないし、一つの方法論だと思います。



1990年前半に、アイドル冬の時代ってありましたよね。原因や問題点はいろいろ考えられますが、この時期のアイドルって、素の自分を出して、身近なアイドルになろうとしていた子がとても多かったんです。そういうアイドルの女の子自身の姿勢にも問題があったのでは、と私は考えています。そんなんじゃ売れないんですよ。自分を飾らないとかつくらないとか、それじゃ自分の周りの女の子と変わらないじゃないですか。もしくは、セルフプロデュースするアイドルとか、そういうのはアイドルとは言わない。そういうケースとしては、男の子受けじゃなくて女の子受けを狙っているとか、そういう場合が多いです。そんなのアイドルじゃない。まず、間違いなく売れていません。その中にあって乙女塾系は、偶像をつくることに徹していたので、比較的売れてました。彼女たちは、一人ひとりが自分自身の役割をしっかり理解しているっていうのが、すごく伝わってきてました。