沖原佳典が、杜の都にやってきた。
昨日まで、阪神タイガースに所属していた沖原佳典内野手が、本日付で、東北楽天ゴールデンイーグルスに移籍しました。
「沖原」といえば。
このブログのタイトルにも「沖原」とありますが。
実は、まさに、この沖原選手のことなのです。
モーニング娘。の皆さんをはじめとして、ハロプロメンバーの皆さんにも、ぜひ、沖原の顔と名前を覚えてもらいたい。
今日は、沖原選手のことを、いろいろとお話したいと思います。
管理人わたなべが、沖原と出会ったとき
2000年12月。
私は、住み慣れた土地を離れ、神戸に住居を変え、社会人として新たに出発しはじめました。
ちょうどその頃。
阪神タイガースに、私と同い年の選手が、新人選手として入団したのです。
NTT東日本・沖原佳典内野手。
当時、28歳。わたしも、沖原も。
人生の再出発を始めるには、あまりにも遅過ぎる年齢だとは思います。
だからこそ。
わたしは、安定したサラリーマンから、プロの“荒波”へと飛び込んでいく沖原に、共感を覚えたのです。
沖原とともに、“激動”の人生を駆け抜けていきたい。
沖原の活躍を励みにして、わたしも、自分だけのオリジナルな人生ストーリーを創造していきたい。
そういう人生想像図を思い描いて、今年で5年目。
沖原の、プロ野球選手としての挑戦は、まだ続いています。
そして、わたしの、関西地区での社会人生活としての“挑戦”も、まだ続いているのです。
なぜ、沖原「裏」掲示板?
沖原選手は、何事も手を抜かず、一生懸命にやるのが売り。だけど、よく空回りして、「オッキー、大丈夫か?」と、チームメートからしばしば突っ込まれます。
という内容の新聞記事*1を、nobyさんから「阪神の石川梨華」として、紹介してもらいまして。2003年2月のことです。
当時、石川梨華がハロプロ一推し、娘。一推しだった自分は、かなり琴線に触れまして。
即座に、ツリー式レンタルBBSを借りて、『沖原「裏」掲示板』という、文字通り、梨華ちゃんの話題中心の掲示板を作ったのです。
ほとんど勢いだけで、つくりました。
しかし、このBBSが重いのなんの。あまりにやってられない。
そう思っていた矢先、この「はてなダイアリー」を見かけました。
コメント機能もあることから、単なる日記*2で掲示板でも何でもないんですが、敢えて『沖原「裏」掲示板』と名付け、梨華ちゃんの話題中心のコメント付き日記を始めました。(実際、2003年2月当初は梨華ちゃんの話題がほとんどでした)
ちなみに、なぜ「裏」なのかと言うと。当時、わたしがつくった沖原選手のファンサイトが稼動していたからです(今は開店休業状態)その「裏サイト」という意味が、当時はありました。
今は裏でも何でもなく、これがわたしのメインブログに成り上がり、梨華ちゃんに限らず、わたしが書きたいことを何でも書くブログになっています。生活の一部。
阪神時代の沖原
2001年3月30日、巨人戦(東京ドーム)。ルーキーイヤーの開幕戦で、8番・遊撃でスタメン、プロ初出場。
輝かしいデビューを果たすも、その後は、調子が良くてもベンチで干されたり、不遇な日々が続く。
しかし、2003年の優勝イヤー。沖原は、おいしいところを持っていった。
2003年9月15日、広島戦(甲子園球場)。ここで打てばサヨナラ勝ち、優勝マジックが「1」になるという場面で、バッター・沖原は、何と、「敬遠」!(結果的に、つぎの赤星がサヨナラ打で阪神の勝ち、直後にマジック対象チームのヤクルトが敗戦、阪神のリーグ優勝が決定した)
2003年10月27日、ダイエーとの日本シリーズ第7戦(福岡ドーム)。9回表、二死の場面で、バッター・沖原は「三振」、ダイエーの日本一が決定した。
“マジック1”の瞬間、そして“日本一”を逃した瞬間、いずれも、沖原はグラウンドに立っていたのだ。世間がもっとも注目する場面で、グラウンドに立てたこと。これは、沖原にとって財産となったことだろう。
しかし。この約4年半、縦縞の「背番号8」*3そして「背番号5」*4が、スポットライトを浴びた期間は、あまりに短かった。
沖原は、この4年半のほとんどを、“二軍のレギュラー”として過ごした。
基本的に、スタメン向きの選手。遊撃手として、スタメンで起用されてこそ、力を発揮する選手だった。
しかし、阪神には、沖原以外の正遊撃手候補がたくさんいた。
同期入団の藤本のほか、久慈、関本、斉藤(現楽天)、鳥谷・・・・・
そんなチーム事情で、一軍にいても、沖原に試合出場のチャンスは巡ってこない。
ずっとベンチにいなければならない状況では、沖原は力を発揮することができなかった。
だから沖原は、ずっと二軍にいたのだ。二軍なら、スタメン出場を続けることができる。
それでも、“内野手が豊富”な一軍の事情もあり、一軍昇格のチャンスは訪れない。
悪循環。
オリックスが合併する以前、管理人わたなべは「オリックスに移籍すればいいのに」と、思ったほどでした。
「オリックスなら、必ずスタメンでずっと使ってもらえる」
「阪神にこのままいても、絶対に使ってもらえない」そう思っていた。
そんな沖原に、朗報が。
2005年6月10日。
「東北楽天ゴールデンイーグルス」への、移籍が決まったのだ。
楽天の沖原
この移籍は、本当にいいことだと思います。
関西を離れてしまうのは寂しいんですが。
一番の願いは、沖原が一軍で、スタメンで出て活躍することですから。
今の楽天なら、絶対にチャンスを与えてもらえる。
ずっと逆境と闘ってきた沖原なら、今の楽天にいても、モチベーションを下げることはないだろう。
ずっと逆境と闘ってきた沖原だから、他の選手にもいい影響を与えるかも知れない。
救世主になって欲しい。ぜひ。
背番号は、交換相手の前田がつけていた「32」を、そのまま継承することに。
球団初の「シーズン途中国内移籍入団選手」です。
「沖原を入れて良かった」と言われるように、頑張って欲しいです。
今日の沖原
フルキャストスタジアム宮城。vs広島東洋カープ。
沖原は、2番・遊撃で、移籍後いきなりスタメン出場を果たしました。
わたなべは、7回表途中で帰宅。そこからテレビ観戦。
木村拓の盗塁時、沖原は二塁ベースについていました。
盗塁は成功になってしまいましたが、「背番号32」の沖原の元気な姿が見れたのが、嬉しかったです。
そして、7回裏。
沖原の打席。
ネクストから打席に向かうとき、バットを両腕でくるくる回しながらストレッチし、打席の直前で一振り、
その姿は、阪神時代そのままで、感慨深いです。
そして、移籍後初ヒット。おめでとう!