オリックス 2005年仕事納め

職員一同が『仰木さん、この1年間夢をありがとうございました』という気持ちです。
                                (小泉球団社長談)

仰木彬さんを初代監督に就任させたことについて、いろいろな意見があると思います。
確かに、監督の激務が、仰木さんの命を縮めたのは事実でしょう。
しかし。
他の誰が、このイメージの悪い創設当時のオリックス・バファローズの監督をやろうと思いますか?
相当、雰囲気が悪かったですからね。
その空気の悪さは、分配ドラフトの結果によく現れています。
もし、本当に強いチームを作るために、プロテクト選手を選ぶならば。
近鉄の選手を多く選ぶはずです。
しかしながら、オリックス球団は、近鉄選手に対して配慮をせざるを得なかったのだと思います。
選手サイドの合併球団に対する抵抗が強く、プロテクトを無理強いできなかったのでしょう。
実際には、多くの近鉄選手が、楽天に移籍してしまいました。
それだけじゃない。
国内の他球団から移籍でやってきた選手が、たった1人(菊地原)しかいなかったのも、異常としか言えません。
オリックスだけは嫌」という選手が球界全体に多い中、他球団への打診がしにくかったのでしょう。
打診したとしても、話がまとまらなかったのでしょう。
チーム編成をする上でもっとも重要な「戦力補強」もままならない、そんなチーム状況でした。





それが、今オフに入って、
中村紀洋が戻ってきた。
清原がやってきた。
セラフィニが来るかも知れない。ローズも来るかも知れない。このあたりは、まだわかりませんが。
少なくとも、清原と中村紀は入団が決定した。
この2人が、同一チームに、ともに在籍しているというのは、本当に不思議というか、奇跡的です。



なぜ、こうなったのか。



オリックスでやってみたい」と、多くの選手が思ってくれるようなチームに、
今はなったから。
この1年をかけて。
長い長い1年という期間をかけて。
しかも、たくさんの人たちのおかげで。
監督・コーチ陣・チームスタッフ・球団職員・選手・応援団・ファン・地域の人たち・・・・・
このどれが欠けても、今のようにはならなかったと思います。
仰木監督も、その一人です。
このチームの雰囲気を、明るく元気に、そして強く、そして・・・・
他球団の選手が「オリックスでやってみたい」と思うように・・・・・
合併1年目の新生オリックスに必要だったことです。
仰木監督なしでは、今のオリックスはなかったと言っても過言ではありません。



今の雰囲気にならなければ。
清原は来てくれなかったかも知れません。
中村紀は戻ってきてくれなかったかも知れません。





仰木監督は、この1年間「夢」を見させてくれただけではない。
この先、オリックス・バファローズが強くなるための道筋を、この1年をかけてつくってくれた一人でもあるのです。
そして、私たちバファローズファンは、仰木監督とともに、チーム再建に力を注いだ“戦友”とも言えるのです。
そのことを誇りに思って、今後もさらに応援を続けていこうと思います。





球団創立以来、オリックス・バファローズに関わった皆さん。
お疲れ様でした。
そして、ありがとうございます。
来年もよろしくお願いします。