自分の今の素直な気持ちを綴ります。

心の整理がついているような。ついていないような。



紺野の気持ちを理解するために。
5月以降の、紺野のテレビ・ラジオ出演、雑誌の記事は、もう、ほとんどチェックしました。
卒業メモリアルDVDも買って、何度も見ています。今も見ているところです。
そうすれば、自分の気持ちについて、何らかの決着をつけられる。
この日記にも、すっきりと自分の気持ちを綴ることができるだろうと、
そう思ってた。



皮肉にも・・・・・
深く理解すればするほど。
余計に、切なくなってきた。



紺野は、今後について
「戻ってくるかも知れない」「戻ってこないかも知れない」
この2つの可能性を示唆しています。
それだけ、紺野がこれから目指そうとする道が、きわめて険しいものであることを物語っていると思います。
また、今後の生活の中で、自分を見つめ直していく中で、
何が自分に向いているのか、何をすることが自分にとってベストなのかを、さらに深く考えるでしょう。
さらに今後は、今まで以上に多くのいろんな人たちと出会い、刺激を受けることになると思います。
これまでとは違った環境の中で、より一層、彼女自身の考えが深まり、気持ちの変化が訪れたりもするでしょう。
以上のことを、総合的にひっくるめて、4〜5年考え抜いた上で、紺野の進路は決まっていくのですよ。



「戻ってくる」「戻ってこない」
本当に、いずれの可能性も、同じくらいの確率であると思うのです。



そういった、紺野のおかれた状況、紺野自身の本心を考えると、
「戻って来い」とも「信じて待ってるよ」とも言えない。言いたいけど、言えない。
だけど、自分の本心は、そうじゃない。
いや・・・・・正確に言えば
「紺野には、どういう形であれ、自分なりの幸せな人生を歩んで欲しい」
というのが自分の思いですから。半分本心、半分心外、そういう感じです。



こういうどっちつかずな心境なので、
「心の整理がついたような、ついていないような」という表現になってしまいます。



自分は「レインボー7」のDVDをまだ観ていないどころか、買ってもいません。
この公演の映像については、6月のシングルについてたDVDだけで、もう、自分はお腹いっぱいです。
もっと言えば・・・・・
この公演に関しては、自分が観たたった1回の公演―――29日の大阪昼公演だけに、記憶をとどめておきたい。
あのたった1回の参戦の記憶を、なくしたくない。
初めて、紺野の口から公式に発表した、あの公演の記憶を、いつまでも消さずに残しておきたい。
だから今は、まだ観たくないんです。



それぐらいに、気持ちが整理できていないですね。今は。



この「レインボー7」そして「青空の10人」についての私の見解は、
5月3日の日記6月30日の日記に綴ったとおり。
今も、それ以上でも、それ以下でもありません。
だから、もう繰り返しは書きません。
時間が経過すれば・・・・・「その日」が近づけば・・・・・
もっともっと、自分の心の奥底深くから、気持ちが溢れ出てきて、多くのことを綴ることができるのかな。
そう思ってたけど。
逆に、時間が経てば経つほど・・・いろんな情報を得れば得るほど・・・考えれば考えるほど・・・
紺野に対するいとおしさが増してきて、
余計に気持ちに決着がつけられなくなってしまいます。
だから、これについては、もうあまり考えないでおこうと思っています。
逆に、私に聞かれても答えられることは、もう何もないです。



「その日」は確実に、目の前に近づいているのだ。
私は代々木にはいかないので、その姿を目に焼き付けることはできないけど。
何らかの形で、気持ちをすっきりさせたい。
そして、紺野に対する思いの丈は、明日、明後日のうちに、ここで可能な限り綴っていきたい。



7月24日を過ぎたら、紺野のことを表立って語ったり綴ったりすることは、もうできなくなるのだから。