「背番号36」の理由でも書くか

私と一緒に、一度でも野球観戦したことがある方はご存知と思いますが
スカイマークまたは京セラドームの外野自由席でオリックスを応援するとき、
私はオリックスブルーウェーブのビジターユニフォームを着用しています。
チームが合併して「オリックスバファローズ」になっても、
ビジター用のデザインは変わっていませんので、パッと見は現存のビジターユニと変わりませんが
袖には「KOBE」「Bluewave」が刺繍されている、正真正銘の「ブルーウェーブ」ユニフォームです。



それと、もう一つ。
このユニフォームの重要なところ。
背番号は「36」そして、その上には「SAITOH」と書かれています。
斉藤秀光選手のことです。
斉藤は2001年までブルーウェーブに在籍していましたが、2002年〜2003年の2年間は阪神に在籍、
その後、2004年にブルーウェーブに戻り、「背番号36」を新たに背負った選手です。

なぜ、斉藤なのか

このユニフォームを注文したのは、2004年6月上旬。
なぜ斉藤なのか。
そのあたりは、こじつければ、いろいろと理由は出てくるのですが。
純粋に、斉藤に注目していたからです。
2004年は、斉藤がブレイクした年でもあります。
前年までは守備要員として一軍で実績を積み重ねていた斉藤が、
スタメンで起用されるようになり、打席に立つ機会が急激に増えたのです。
それまで控えの選手だと思っていた斉藤が、一転して脚光を浴びる立場となり、
「地味で目立たないけど役に立つ選手」が好きな私は、注目せずにいられなかったのでした。



ユニを注文した数日後。
ブルーウェーブ近鉄との合併が発表されました。



ブルーウェーブの消滅が濃厚となった2004年後半戦。
そんな中、斉藤は、着実に試合出場を積み重ねていきました。
私も、「背番号36」を背負い、Yahoo!BBスタジアムに足を運び続けました。
ストライキの日に実施されたサイン会のとき、
斉藤に、このユニフォームにサインを書いてもらったこともありました。
今もサインの跡は残っています。



ブルーウェーブは、この2004年をもって“解散”。



2004年11月8日。
分配ドラフトにより、斉藤の、楽天移籍が決定。



ブルーウェーブ・背番号36の斉藤」は、2004年限りのものとなってしまいました。

青波魂を守れ

合併後も、私は、この「ブルーウェーブ」の“背番号36”を背負って、野球観戦を続けています。
敢えて合併後のユニフォームは着用していません。
このブログでも、何度か「大阪ドーム用に背番号○○番をつける」と宣言していますが、
実は、いまだにまったく作成していません。
新しいユニフォームが嫌いなわけじゃありません。
そのあたりは、ご理解いただきたい。





青波“36”を背負い続ける理由。
「自分は、ブルーウェーブからのオリックスバファローズファンです」という意思表示。
何より、今でも自分は“ブルーウェーブのファン”という誇り。
あの激動の2004年、自分は“ブルーウェーブ”のファンだった、という証。
それだけじゃない。
一番、私がこのユニフォームを通して訴えかけたいこと。

悲しみや苦しみを、選手の皆さんやファンの皆さんと共有した“2004年”を、絶対に忘れない


さらに、オリックスバファローズは、来年から神戸の試合数が激減します。
再来年からは、神戸がフランチャイズではなくなってしまいます。
年々、次第に「神戸色」が薄れていってしまうことは、もうわかっています。
だけど、
自分は忘れたくない。
書類上の本拠地がどこになっても。
いつまでも、オリックス球団は、「わが町・神戸」のチームでもある、ということ。





「Bs」マークが嫌いなわけではない。
幸い、このマークは多くのオリックスバファローズファンに親しまれています。
良いことだと思います。
一方で、それと同じくらい、忘れてはいけないものだってある。
青波魂”そして“いてまえ魂
合併後2年が経過した今も、この垂れ幕は、ライトスタンド上段に掲げられています。
蒼と紅を混ぜて、紫にすることなんてできない。
だから、自分は「蒼」のカラーを守り続けたい。
「紅」の伝統を尊重しつつ、「蒼」の魂を継承していきたい。



今の私が、オリックスバファローズのために、精一杯にできること。