さらば、“熱い”夏の日〜オリックスバファローズvs北海道日本ハムファイターズ(京セラドーム大阪)

昨日(9月8日)付で、萩原淳投手が、約3か月ぶりに出場選手登録されました。



萩原といえば「いつでも、何イニングでも投げられる鉄腕リリーバー」
いわゆる、連日の“第2先発”は、萩原が担うべき役割でした。
しかしながら、度重なる救援失敗で、6月12日の登板を最後に一軍マウンドから姿を消していました。
一軍ブルペンの“核”であるべき存在の萩原がいなくなってから、
ただでさえ調子が良くなかったリリーフ投手陣が、さらに調子を悪くしてしまいました。



チームの成績不振の、最大の原因として
“先発ピッチャーの代え時を読み違えた”
“継投がうまくいっていない”
投手起用に関する采配がことごとく失敗している監督、
投手陣への指導が至らない投手コーチ、
そして何より、
不甲斐ないピッチングで、ファンや首脳陣の期待を裏切り続けている一軍ピッチャー・・・・・
もちろん、不甲斐なさに一番頭を悩ませているのは、
背信のピッチングを続けている投手自身であり、また、監督、コーチであったり・・・・・
「野球はピッチャーで決まる」
今年のバファローズを通して、痛感していることです。



不振から脱しようと、必死でもがき苦しむ一軍ブルペンに、救世主が現れた。
先発ローテ候補でありながら、リリーフとしての適性も持ち合わせた万能ピッチャーの
本柳和也投手です。
8月16日の千葉マリンスタジアムで、先発テストのオバミュラーの第2先発としてマウンドに上がって以来、
登板した試合は、すべて“第2先発”
昨日まで、全部で8人の先発投手の後を受けた第2先発として、登板を続けました。



また、ピッチングだけでなく、ブルペンの“ムードメーカー”としても貢献しました。
先輩からはかわいがられ、後輩からは慕われて親しまれている本柳の周りには、つねに人が集まります。
とくに後輩に対しては“アドバイスをする”“指導をする”というよりも
“リラックスさせる”といった感じでしょうか。
先発が打ち込まれて、どんなに重苦しい試合展開になっても、
ブルペンで力のこもった投球練習をし、また、真剣にグラウンドの戦況を見つめる、
そんな本柳の姿は、ブルペン全体に“躍動感”を与えます。
どんなに連投が続いても、先発がピンチになったら、自分から率先して投球練習を始める本柳の姿勢は、
若い選手にとっては最高のお手本であり、中堅どころにとっては良い刺激となるでしょう。
前日も、いや、前々日も投げたはずなのに、疲れを見せることなく、それどころか
ブルペンでの全力投球で監督、コーチ陣に「ボクを使って!」と積極的にアピールする姿は、
まさに“第2先発のスペシャリスト”です。





そんな本柳が“お役御免”となる日が、とうとうやってきてしまいました。





今日の2回表途中。
先発の中山がボコボコに打たれまくって、もはや見ていられなくなった場面で。
神部コーチがマウンドへ。
そして、中村勝広監督が、球審のもとへ。
投手交代が、告げられた瞬間です。



( ^▽^)<バファローズのピッチャー 中山に代わりまして 萩原 背番号42



この瞬間。
“第2先発”の座に、昨日復帰したばかりの萩原が戻ってきたのでした。






この“2006年の夏”が、走馬灯のように、脳裏を駆け巡った。
どんなに長いイニングを投げても、必ず、連日ベンチ入りを続けた日々。
先発がピンチに陥ったら、必ず本柳が、ブルペンから助けに来てくれた。
こんなに投げ過ぎて大丈夫なのかというファンの心配とは裏腹に、
本柳は疲れを見せず(疲れていたかも知れないが)嬉々として投げ続けた。
投げたくて、投げたくて仕方がない
そんな本柳の心情が、手に取るようにわかるほど、本柳はブルペンで、そしてマウンドで輝いていた。





萩原が戻ってきたことで、その役割とも別れを告げなければならなくなりました。
「ピッチャー萩原」
このコールを当たり前のように聞く日々が、再び戻ってきます。
本柳の第2先発は、やがて、遠い過去の話のようになってしまうかも知れない。
しかし、私は忘れない。
暑かった・・・・・いや、“熱かった”2006年の夏の日々を。
本柳のハートの“熱さ”に心酔した毎日を。
良き思い出を、
充実した野球観戦の日々を、
そして、
成績不振のチーム状況に一石を投じてくれたプレースタイルを・・・・・
ありがとう、本柳・・・・・・










と、感傷に浸ったのも束の間。





代わった途端
いきなり2本連続ホームランかよ(;´Д`)





しかも。



2打席連続死球とか



_| ̄|○










本柳と一緒に過ごす熱い夏の日々は、まだまだ続きそうです。