ありがとう。本柳。

投手も野手も故障者が続出して、今季中の一軍昇格が危ぶまれている選手、
さらには今季中の一軍復帰が絶望的な選手が相次いでいるバファローズですが。



ついに、頼りになるあのピッチャーまで。
この大事な時期に、チームを離れることになってしまいました。





今日16日の西武戦(インボイス)に先発予定だった本柳和也投手が、
腰痛のために、16日付で出場選手登録を抹消されてしまいました。
本柳の雄姿をグラウンドで見ることは、今季はもうありません。

本柳が大ブレイクした2006年。忘れないでね

6月12日、今季初先発。
この日の好投で、本柳の先発ピッチャーとしての適性が浮き彫りになりました。
が、同じ6月12日。
リリーフの萩原淳背信のピッチングを見せてしまいました。
ほどなく萩原は登録抹消。
本柳は、しばらくは先発ローテーションの一員として投げ続けました。
一方で萩原のようなロングリリーフも連投もOKなリリーフ投手の離脱は、
チームにとってはあまりにも痛過ぎました。
萩原の代わりになれる投手が、一軍ブルペンにも、二軍で調整中の投手陣にもいない。
追い討ちをかけるように、他のリリーフピッチャーも故障や成績不振を理由に相次いで一軍を離れる悪循環。





そこで、白羽の矢が立ったのが、
リリーフの経験もある万能ピッチャー・本柳だった。





後半戦は、登板した試合のほとんどが、いわゆる“第2先発”
4試合連続で投げたこともあります。
先発ピッチャーが早いイニングで調子を崩したときや、突然アクシデントが起こってしまったとき。
すかさずブルペンで投球練習を始めたのは、決まって本柳だった。
自分がそういう役割だということを、よく理解していたのでしょう。
とにかく、まったく嫌がることなく、むしろ率先して大変な役割を買って出たのだ。
あまりにも投げ過ぎて、見ているこちらが心配になってしまうほど、
ブルペンで、そしてマウンドで多くの球数を投げ続けた本柳でしたが、
皮肉にも、登板を重ねれば重ねるほど、本柳への信頼は高まる一方でした。
大事な場面での本柳の登板は、ますます増えていくことになったのです。





9月8日。
萩原が一軍に復帰しました。
しかし、久しぶりに一軍ブルペンに戻ってきた萩原に、いきなり第2先発の“大役”を任されるわけでもなく。
この日の第2先発として登板したのは、いつものように、本柳でした。





この9月8日の登板が、本柳にとって今季最後の登板となってしまいました。
しかし、この時点ではそんなことになるなんて思ってもいなかった。





9月9日。
先発ピッチャー・中山慎也が、絶不調で2イニングもたずに降板。
第2先発として、萩原がマウンドに上がりました。
今思えば、このときが、
本柳の“第2先発”としての役割に、正式に終止符を打った瞬間でした。



その後もしばらく、本柳は毎日ブルペンで待機し続けました。
が、登板機会はなく。
この頃から、リリーフ投手陣以上に、先発投手陣が危機的な状態に陥っていきました。
とにかく勝てない、試合をつくれない、勝ちパターンのリリーフ投手に登板機会が訪れない。
つまり、リリーフとしての本柳に登板機会が巡ってくる試合展開にならない、ということ。



そこで、今度は本柳には、先発ピッチャーとしての登板機会が訪れたのでした。
9日にKOされた中山の“代役”として先発登板する予定になっていました。
先発投手としての適性は折り紙つきで、試合をつくれる、勝ちを計算できる先発として期待されていました。










が。





こんなことに。








本日、先発したのは、
本柳を代役として送られたはずの中山だった。
“代役の代役”中山が、今季初勝利を飾りました。

おつかれさま。

本柳を投げさせ過ぎたことが、持病の腰痛を悪化させることに繋がってしまったかも知れない。
しかし・・・
とくに後半戦はいわゆる“捨てゲーム”がほとんどありませんでした。
もうちょっと点を取れば勝てる・・・失点をもう少し抑えれば勝てる・・・・・
皮肉にも、こういう僅差の場面で使えるピッチャーが、ブルペンにはほとんど残っていませんでした。
主力の中継ぎ投手のほとんどは登録を抹消されている状況。
代わりにやってくるのは一軍経験の浅い選手。
しかし、そういう選手に経験を積ませることが、ほとんどできないほど、
最後までに勝ちにこだわり、勝負に徹することが要求される試合ばかりでした。
とにかく、文字通り「故障に泣いた」としか言いようがなく、
本柳を多く起用をせざるを得なかった首脳陣の苦悩も、相当なものだったと思います。
そして、最後の最後、待ち望んでいた先発のチャンスが巡ったところで、
本柳自身が「故障に泣く」ことになるとは・・・・・



残り試合を“消化試合”と割り切れば、
思い切って経験の浅い選手を、臆することなく起用できたかも知れない。
本柳への負担も、ぐっと軽くなったかも知れない。
しかし、それはチーム事情が許さないのです。
マスコミ、そしてファンがチームへと向けるさまざまな雑音が多い状況で、
順位に関係なく、とにかく勝たないといけない。
勝つことで、雑音を跳ね返さないといけない。
今のオリックスバファローズには、“消化試合”などないのです。



このたびの本柳の、最後の最後に起こった戦線離脱は、
“勝ちにこだわる”2006年のオリックスバファローズの、象徴と言えるかも知れません。



とにかく、本柳に対しては「おつかれさま」これ以外には言えません。





本柳が、連日ブルペンで、そしてマウンドで躍動した2006年の夏の日々。
いつまでも忘れないように。
心の奥底深くに、刻み込んでおこうじゃないか。