さようなら、そしてありがとう!クリフ・ブランボー

また一人、“オリックスバファローズ・スターティングイヤー戦士”が、チームから姿を消すことになりました。
クリフ・ブランボー外野手の、今季限りでの退団が決定したのです。



来日1年目の2005年は一軍にほぼフルで帯同しました。
指名打者一塁手三塁手左翼手右翼手のレギュラーが確立していなかったチーム事情もあり、
ブランボーは他の選手との兼ね合いで、どんなポジションに就いてでも試合出場を続けて、
それぞれの守備位置で最低限の仕事をこなし、最終的には規定打席に到達しました。
絶対的なレギュラー野手もいない、大砲もいない、合併直後の不安定なチーム状況にあって、
ブランボーの器用さと破壊力は、チームにとって不可欠のものでした。



しかし、2006年。
一塁手または指名打者で起用できる清原がやってきた。
三塁手中村ノリがやってきた。
故障に苦しんだ北川も好成績を残した。
故障で離脱した清原・中村・北川に代わる一塁手三塁手として、相川が台頭した。
一塁のスペアとしては水口、三塁なら塩崎も欠かせない。
外野を見渡せば、不調だった谷が調子を取り戻してきた。
大西の成長が著しい。
後半戦では、早川・下山の出番が増えた。
そして、最後の最後、正右翼手として定着したのは、ガルシアだった。
年間トータルで振り返ると、清原・北川・中村・谷・ガルシアがレギュラーとして認められ、
控えの野手も例年以上に多く経験を積み、それなりに収穫を得ることができたシーズンになりました。
故障者も多い苦しい状況の中、この1年間で、野手の皆さんは、心身ともに逞しく成長しました。



このようなチーム状況になったことで、ブランボーの役割は、もはやまっとうしたといえるかも知れません。
このたびの戦力外通告は、単に「実力不足」というわけではない。
あくまでも「チーム編成の都合上」
自分はそう信じています。



何より、2005年シーズンにおけるブランボーの存在を誰よりも有難く思っていたのは、
適材適所の選手起用を信条としていた仰木彬監督かも知れません。
中途半端な選手層を抱えて、指揮を執らねばならなかったのですから。



ブランボーは、文字通り「チームの勝利に貢献した」オリックスバファローズの選手なのだ。