青波ラストイヤー・外野カルテットは永遠に不滅です。〜相川良太・早川大輔・迎祐一郎・竜太郎

早川大輔外野手の、千葉ロッテマリーンズへの移籍が決まりました。





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覚えていますか。2004年の、あの「熱い」夏の日々を。

2004年、パ・リーグ後半戦。
オリックス・ブルーウェーブにとって、事実上「最後」の夏だった、あの頃。
アテネオリンピックに出場していた谷佳知村松有人両外野手に代わって、
いわゆる“留守番”で、外野手として試合出場を続けていた4人の若い外野手がいました。
相川良太
早川大輔
迎祐一郎
竜太郎。
彼らは、不動の正外野手・谷、村松、ブラウンの陰に隠れて、出場機会に恵まれずにいましたが、
谷と村松の五輪出場に伴い、試合に出場できるチャンスが訪れたのです。
チームはすでに、優勝の可能性がほとんど消滅していました。
併せて、近鉄との合併によりチームそのものが“消滅”してしまうことも決定的でした。
しかし、若い彼らにそんなことは関係なかった。
チーム状況がどうあれ。
試合に出場できるチャンスがあることこそ、彼らにとっては重要だったのだ。



文字通り、2004年夏の彼らは“躍動”していました。
すでに「消化ゲーム」でしたが、
来る日も来る日も、彼らはグラウンドに立ち続け、正外野手不在のチームを支えました。



さらに。
五輪期間中に、谷も村松も負傷を患ってしまい、帰国後も外野手として試合に出ることができませんでした。
そのまま、若い彼らが引き続き試合出場を続けることに。
そして。
オリックス・ブルーウェーブとしての最終戦には、
相川が一塁手として、早川・迎・竜太郎が外野手として、4人揃ってスタメン出場を果たしました。



結果的にこの試合が、この“青波ラストイヤー・外野カルテット”4人全員が揃った最後の試合になりました。



そして、迎えた分配ドラフト
4人とも入団3年目以上であり、オリックスにプロテクトされる保障のない立場にありました。
そんな状況で・・・・・
竜太郎はプロテクトはされませんでしたが、楽天に指名され、杜の都に旅立ちました。
相川・早川・迎は、オリックスバファローズ入りが決まりましたが、
プロテクトされたのか、最後のグループになったのか*1
今となってはわかりません。
が、理由はともかく。
3人は、オリックスバファローズに入ったのでした。



分配ドラフトをもって。
「青波ラストイヤー・外野カルテット」は“解散”したのでした。



あれから2年。
竜太郎は二軍で好成績を残しているようで、何よりです。
早川は脚の速さだけでなく、ムードメーカーとしてチームを鼓舞しています。
迎は「守備走塁はいい。あとは打つだけ」の評価は相変わらずです。
相川は外野だけでなく一塁・三塁も守り、続出する故障者の穴を埋めました。
ブルーウェーブ時代と変わらず、みんな、元気で頑張っています。








このたびの早川の移籍により、
オリックスバファローズの「青波色」が、さらに薄れてきているのは事実です。



そんなことは問題じゃないですよ。



確かに、4人が進む道はバラバラになってしまいました。
だけどね。
一番大切なことは。
一人ひとりが、それぞれの居場所で、なすべき役割を果たすことだと思っています。
「早川のおかげで、今日はロッテが勝った」
「今日の楽天が勝ったのは、竜太郎のおかげ」
そんな声が聞かれるとすれば、“ブルーウェーブのファン”として、どんなに嬉しいことか。




早川に、そして、マリーンズファンに捧ぐ。

早川よ。
5年もの間、神戸のスタジアムで“熱い”プレーを魅せてくれて、ありがとう。
躍動感溢れる「背番号37」の雄姿を、私たちは永遠に忘れません。
これからも、“ブルーウェーブ”のファンとして、君のことは注目し続けます。





マリーンズファンの皆さん。
早川はいい選手です。
ぜひとも、熱烈な応援をよろしくお願いします。

*1:プロテクトされず、楽天にも指名されない