マック鈴木「日本ではふがいなかったけど」
米国にはなかったコーチの熱心な指導に忠実になろうとしすぎ、持ち味の力強さを見失ったと振り返る。(スポーツニッポン)
マック鈴木の、日本球界における指揮官遍歴は以下の通り。
投手コーチは
- 藤田学(2003年)
- 酒井勉(2003年、サーパス神戸)
- 八木沢壮六(2004年)
- 野田浩司(2004年)
- 谷村智啓(2004年〜2005年、サーパス神戸)
- 神部年男(2005年)
- 赤堀元之(2005年)
たった3年で、一軍の監督が3人、一軍の投手コーチが5人って・・・・・
チーム状態があまりにも異常過ぎましたね。マックは悪くない。
逆に、マックにとってはやりにくかったことでしょう。
毎年のように、戦術や指導方針がコロコロ変わるのだから。
マックが、コーチの指導を熱心に聴いていたのは本当です。
毎年、秋や春のキャンプ、オープン戦や教育リーグの時期には、練習時間をオーバーしても、マウンド上やブルペンで投手コーチと、ピッチングについて手振り身振りを交えながら話し込む姿が多く見られました。
今思えば、コーチの意見を謙虚に取り入れたことが、マックの長所である「主体性」を奪ってしまったのかも知れませんね。
公式戦に入ると、マックの姿からはまったくやる気が見られませんでした。
そもそも、マックがブルーウェーブ入団を決めたのは、ブルーウェーブの雰囲気が「日本的過ぎず、アメリカに近い」そのことが決め手になったはずだった。皮肉にも、その“日本的過ぎない”石毛監督は短期間で退団。後任のレオン監督も2003年限りで辞めてしまった。やがて、マックが思い描いていたブルーウェーブのチームカラーからは程遠いチームになってしまった。
マックに合った「環境」が、長く続かなかった。そのことも、マックにとっては不運だったと思う。
やはり、マックにはメジャーリーグが似合うのだ。