しばっちゃん派のご意見

ここのお客さんの一人でもあるしばた日記の管理人さんから、メールをいただきました。私のサイリウム論に関するレスポンスです。

タンポポ祭りを生で観てないこともあり、自分にとっては今回の白サイリウムはとても大きな感動でした。
まさかあそこまで白一色になるとは思っていなかったし…。
でも、やはり一番は、以前日記にも書きましたが、アーティスト側が幸せな気分になれるかどうかだと思います。
応援しているアーティストが幸せならばマンネリでも本望です。
それが配られたサイリウムだとしても。(自分の場合友人からもらいましたが)

制作側のイベントに乗るというのは正論ではありますが、
やはりファンとしては何かこちらからもやってあげたいという気持ち、
やるならば、みんなで一つのものをつくりあげた方がいいに違いないという気持ち
を抑えることはできないと思います。
事務所を信用してないファンも多いですし…。

今回、自分は白サイ企画に乗るつもりはありませんでした。
サイリウムは使わない主義の自分が、
メロン初単独コンサートの時の緑一色(タンポポやなっちほどではないですが)
では緑サイリウムを持参しました。
これでサイリウムを持つのは最初で最後にするつもりだったので。
でも当日友人から渡され、席でも有志が配りに来て。
拒否することもできましたが、彼らの真剣な気持ちを踏みにじるのもあれなので、
自分も白サイリウムを振らせていただきました。
結果、それは自分自身の感動・なっちの感動につながりました。

結論というものははっきりしないのですが、
参加者の感動、参加できなかった人の感動、アーティストの感動、制作側の感動は
本当に千差万別だと思いますので、一概にどうとは言えないですよね…。
と、書いてるうちに答えがないということに気づきました(笑)。

追記。
自分にとってタンポポ畑の感動がやや薄い要因。
1.3期タンポポにしばっちゃんが入ったこと
2.自分にとってのタンポポは飯田、石黒、矢口
3.タンポポの次に歌ったプッチモニの立場
などがありまして。
柴田ファンとして、1.がとても大きく響いています。
柴田加入>飯田・矢口(・加護)卒業
なので…。

私はいずれも生では見ていません。矢口さんのANNSで、タンポポ畑の感動を知り、ええ話やなあと、実際に見ていない私にも感動が伝わってきたのを覚えています。どちらかというと、その「タンポポ畑」に参加できなかった自分を悔いているのかも知れません。しかし、マンネリ感を打ち破る「何か」がアーティストに伝われば、それは単なるマンネリで片付けられなくなりますね。今回の場合、先日の日記でも書きましたが、なっち自身は凄く喜んでくれましたからね。結果としては「良かった」と言っていいでしょう。このたびの「白サイリウム肯定しきれない論」は、何らかの形でタンポポ祭りの感動を知ってしまった人の、あまりにも深すぎる思い込みに過ぎないのかもしれません(私も含めて)。一度思い込んでしまうと、なかなか払拭できないんですよね。