「一人ぼっち」レビュー。

22歳の私

「22歳」留年も浪人もせず普通に進学して人生を送れば、大学4年生、来年から社会人ってときに、22歳を迎える。管理人も、そういう人生を送っていたので、大学4年生(&社会人1年生)として22歳を過ごした。逆に、30代となった今から振り返って、あの頃の自分は大人だっただろうか?いえいえ、とんでもない。基本的には親のすねかじりだったし、社会人1年目はまだ学生気分が抜けていなかった。実家から通勤しており、金を稼いで生計を立てるという概念がまったくなかった。とにかく自分のやりたい仕事に就けて、自分のやりたいことをやって毎日を過ごしている、そういう感覚しかない。就職先を決めて毎日きちんと出勤することが「良識ある社会人」だと思っていたし、「自立した大人」だと誤解していた。何のために働いているのか?責任ある社会人のあるべき姿とは?それがわかった(わかりかけた)今のほうが、あの頃より自信を持っていると思う。そう思わなきゃ嘘だ。そう思わなきゃ、自分は成長していないということになるのだから。

Memory 青春の光

住み慣れた土地を、泣く泣く離れることを決めた。なぜ「泣く泣く」だったのか。ずっと、今のままでいたかった。このまま、今のところに住みたかった。でも、このままでは自分を成長させられない。自分のステップアップのため、今とは違う土地に住むことを、自分の意思で決めた。決心したのは、社会人5年目の頃。それからの1年は、そういう思いで過ごした。何をやっても「あぁこれが最後なんだ」誰と会話をしても「あぁこの人ともいつかはおわかれなんだ」口には出さなかったけど、私は寂しかった。そのかわり、一つひとつの仕事に全力で取り組んだ。あとから「ああすれば良かった」と悔いないように。悲壮感すら抱きながら、精一杯に輝こうと走り抜けた1年間だった。
そして、お別れの日。ほとんど誰にも、引越し先は告げずに、静かに故郷を去った。今後も連絡を取り合うようなことになってしまえば・・・・・私はまた、故郷に戻りたくなってしまうから。過去を懐かしんでしまうから。でも、そうはしたくなかったから。私は敢えて「行方不明」になる道を選んだ。だから、今でも年賀状はほとんど来ない。同窓会の誘いも来ない。そりゃそうだ。私がここに住んでいることは、昔の知人はほとんど知らないのだから。私は、過去をかなぐり捨てたのだ。そして、過去の栄光を気にすることなく、ひたすら「今」を輝かせようとしている私がいる。

恋した女の子どすえ

「好き」って大声で叫んだことがない。
理由は「恥ずかしい」からだ。それでも、人を好きになるパワーって凄いなあっていうのは思う。好きな人のために、遠距離恋愛も苦にせず、毎日のように電話でお話をしたり。平気で交通費をかけては遠方に出向いたり。どんなに経済面できつくなったって、無駄遣いだなんて思わない。それよりも、好きな人に逢いたくてたまらないんだ。それって、理屈なんかじゃない。「好き」だから。実際には叫べなくても、心では「好きだーーーーー!!!!」って叫んでる。好きになったら一直線、逢いに行くためだったら何だってやっちゃう。若気の至りなんて言われてもいいじゃない。文字通りの「猪突猛進」そんな青春を送ってみようぜ、若人よ!

・・・ひとりぼっち・・・

高校3年生の今ごろ。管理人は、一人暮らしがしたくてたまらなかった。大学入学と同時に一人暮らし生活がスタート、そのまま4年間、親の経済的援助を借りながら、一応は一人で生活した。金はそんなに無茶に使うわけでもなく、適度に食って適度に遊べれば良かった。炊事洗濯など自分でやっていたわりには、親のありがたみも金のありがたみも、そんなにわかっていなかったかも知れない。ホームシックにもかかったことはなかった。周りには学友が多かったので、寂しさを感じることもなかった。多くの良き友人と多くの良き思い出をつくることができ、充実した4年間だったことを覚えている。
社会に出ても、一人暮らしをやりたいという気持ちは変わらなかった。そして社会人7年目、再び見知らぬ土地に移り住み、一人暮らしを始めた。しかし、今度は勝手が違った。まったく知らない土地で、誰も友達がいないのだ。人との接触が、急激に減った。これはつらかったし、寂しかった。もはやホームシックを通り越していた。あの学生時代のようなワクワクした一人暮らしとはほど遠く、孤独感に満ちていた。ラジオやテレビで知らない方言に溢れたおしゃべりに触れたり、商店街を歩いて人並みに紛れることで、寂しさを打ち消そうとしていた。しかし、自分の直接の友人がいるわけでもない。誰とも会話をしていない自分が、余計に寂しく感じた。
やっと人並みの社会生活が送れるようになって、1年が経過した。もう、あんな毎日は過ごしたくない。

あなた色

「オレ流」を浸透させたい。もっと自分の存在を知らしめたい。アピールしたい。
私は、そんなに強烈な個性を持った人物じゃありません。いたって普通の人。もっと目立つような奇抜なスタイルにすればいいのかも知れませんが、できないですね、勇気がなくて。いつまでたっても、目立たない普通の人に甘んじたままです。
その代わり、私には、他人をよく観察する能力には長けていると思っています。他人の個性を見抜くこと。どんなに目立たないような地味な人からも、その人の独特の持ち味を見抜くことができる自負しています。自分が目立たない人物だから、というのもあるかも知れない。いいところが少しでも見つかれば、その人に好感が持てるようになります。これっていいですよ。上っ面だけ見ていたんじゃ、他人のことはわからないんです。だから私は、人がものすごく「好き」なんです。一方で、私は「惚れっぽい」というのもあります。ここまで来れば困ったものですが・・・・・これって、単に節操がないってこと?
いずれにせよ、人を愛すること、それが毎日を充実させる秘訣なのかも知れません。

トウモロコシと空と風

管理人が生まれ育った土地は、比較的「田舎」なところだ。田んぼがいっぱいある。夜になったらカエルがうるさいくらい鳴く。森林も竹やぶもくさむらも多い。自然に溢れているのだ。こういう場所は普通、「空気がきれい」と言われる。植物が光合成によりいっぱいの酸素を、空間に送り込んでくれるからだ。今は都会に暮らしている私だが、今でも田舎に帰ると、その美しい空気に懐かしさを感じるし、旅行先には自然と田舎なところを選んでしまう。
子どもの頃の思い出、夏休みのラジオ体操。会場は、目の前に田んぼがある空き地だ。朝早く、朝一番のきれいな空気を、お腹一杯吸い込んだっけ。しかし、当時は空気がきれいだなんてあまり感じていなかった。それが日常であり、当たり前のことだったから。やがて都会の賑やかさを知り、都会に憧れたこともあった。排気ガスの汚さで心肺機能を害したというわけではないが、それでも程なく、田舎の空気の美しさに気がついた。それに、田舎と都会で決定的に違う点にも気がついた。朝日の美しさが違うのだ。都会じゃ、ビルに囲まれて日の出すら見ることも出来ない。あのラジオ体操で見られる朝日の美しさは、やはり田舎じゃなきゃ味わえない。都会に染まりつつある私だが、老後はやっぱり田舎で暮らしたい。

ふるさと

お母さんのありがたみ。それって、何なんだろう?
本来ならありがたみに気づくべき学生時代、自由奔放に、しかも何不自由なく過ごすことができたから、気づく由もなかった。一人暮らしをはじめたことが、自分にとっては単なる「甘え」にしかつながらなかった。親の目を気にせず、好き勝手できる。余計にわがままな自分になってしまった。
お母さんとの思い出はいっぱいある。子どもの頃から、いっぱい遊んでくれた。ごはんもつくってもらった。掃除も洗濯も全部やってもらった。おこずかいもくれた。そうやって、私を育ててくれたことはわかっている。でも、そのことに対して「ありがとう」って言ったことは一度もない。当たり前のことだといつの間にか思い込んでしまい、感謝の念など生まれてこなかったのだ。
周りの人たちの家族関係を見てみて、お母さんに悩み事などを気軽に相談したり、お母さんとご飯を食べに行ったり、お母さんを旅行に連れて行ってあげたり、素直にお母さんに感謝の言葉を述べたり・・・・・そんなお母さんとの良い関係を築いている様を見ては、羨ましく思っている。同時に、そんな関係を築けていない自分が、何だか寂しく思える。決して絆が壊れたわけでもないと思う。薄っぺらい人間関係に慣れてしまったのだ。家族との深い交友すらできない、そんな感覚が身に染み付いてしまってから気づくのでは、もう遅い。

腕組んで帰りたい

自分が他の人を好きになるのももちろんだけど。恋愛の目的って、単なる自己満足なのか?それだけじゃないでしょ。自分のことも、好きになってもらいたい。心の中で構わない、「好きーーーーー」って自分に対して叫んで欲しい。できれば、自分に伝わるように言って欲しい。でも、そういうのに限って、自分にわかるようには伝わらないものなんですよね。
自分だって、好きな人には最初、なかなか好きって言えない。だから、遠まわしにメッセージを送ったりする。まずは、何気に目線を送ったり。メールを送ろうにも、最初はメールアドレスがわからないですよね。それを聞き出すまでの過程で、自分なりに目立つことができれば一番いいですね。会話の中心になるとか。でも、私はできませんでしたね。もともと会話をリードするタイプじゃありませんし、好きな人がいると緊張してしまいますし。
私の場合、好運だったのは、向こうが偶然、私の気持ちに気がついてくれたこと。目線で気づいたみたいで。んで、向こうからいくらか話し掛けてくれた。そうやって、お互いがお互いの気持ちに気づいた、っていう、偶然過ぎる偶然。これって運ですよね。
それを抜きにしても、もっと、自分の気持ちを素直に表現できる、そんな人に私はなりたい。

ってなわけで、何曲か飛ばしてますが、一応書いてみました。この方の仰るとおり、最後の2曲はボーナストラックと捉えたほうが良さそうです。既発表曲が多いですが、それでも楽曲のクオリティの高さが勝るので気になりません。やはり、なっちは「歌手」なのです。ソロ歌手・安倍なつみの今後に期待を馳せましょう!