慣れ親しんだ藤井寺に別れを告げた男〜はてなプロ野球’04

吉井理人 投手     背番号55
2003年3月12日。グリーンスタジアム神戸サブ球場に、メジャー旋風が巻き起こった。ウエスタンリーグ教育リーグ、ダイエー戦。マック鈴木、吉井両投手が調整登板が予告されていた。当番前に投球練習をするブルペンは、内野スタンドから目と鼻の先。吉井のパワー溢れるピッチングを、目の前で見ることが出来た。「すげぇ・・・・」そんな観客のため息に、「そんなことないよ」と、しれっと言ってのける。マウンドでは、もっとすごいピッチングを魅せてやるよ・・・そう言わんばかりに。そして、吉井は2番手として6回表から登板した。4イニングを3安打1失点、終始安定したピッチング。調整登板としては「大成功」だったといえるだろう。試合後のブルペンでのクールダウンでも、終始笑顔で、この日のピッチングの感触を噛みしめていた。
もちろん、期待されていたのは先発ローテの一角、一軍投手陣の柱。しかし、1年目の2003年は開幕投手をつとめ、24試合に登板するも2勝7敗1セーブ、防御率6.51の不本意な成績。2年目の今季はたった2試合で3回3分の1、0勝1敗、7失点で防御率18.90。もちろん不本意である。バファローズ、スワローズ、そしてメジャーリーグで輝かしい実績を残したベテランも、この2年間は良い結果を残せなかった。
2004年9月16日、ウエスタンリーグ後期最終戦藤井寺球場でのバファローズ戦に、吉井はサーパスのユニフォームを着てグラウンドに立った。9回裏2アウトの場面で、吉井はマウンドにあがった。サーパスが7点リードしている楽な場面だったが、内野スタンドからは、吉井を激励する大歓声が響く。この吉井のクローザーとしての登板が、何を意味するのか、お客さんはうすうすわかっていたのかも知れない。今年39歳になった吉井は、力を振り絞って、渾身の力を込めて、長田捕手のミットめがけて投げた。らくらく1アウトをとり、ゲームセット。直後、マウンドにひざまづき、額に手(指)をあてるパフォーマンス。そして、マウンドに集まったナインとのハイタッチ。ナインがつぎつぎとベンチに帰る中、吉井だけはなかなかベンチに戻ろうとしない。自らの足でマウンドの土をならす仕草を、しばらく続けた。マウンドから離れるのが、名残惜しそうにも見えた。やがて、マウンドを離れ、帽子をとって、マウンドに挨拶。「あばよっ」とでも言っているように見えた。やっとベンチに戻った吉井に、スタンドからこの日一番の大歓声が、球場全体に鳴り響いた。
思えば、吉井がプロ生活を始めたのは、藤井寺球場フランチャイズだったバファローズだった。藤井寺ラストイヤーの今季。思い出のいっぱい詰まったマウンドに、吉井は別れを告げたのだった。そして、メジャーを含めた自身22年のプロ野球生活に、決着をつける日が、いよいよ来てしまうのか。いずれにせよ、確かなことは、あの9・16の勇姿は、「ブルーウェーブの吉井」として一つの区切りになったことである。